SIGMA CEOインタビュー(その4)

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Q:キヤノンがシグマを買収するのではという噂がありました。これは本当なのでしょうか?

A:噂についてコメントをすることはできません。そういったビジネスに関する噂はなおさらです。私たちは非上場企業ですから別に良いんですけど、あちらは上場企業です。なので、株価に影響を与えそうな発言は慎みたいと思います。

Q:ネットではシグマはソニーと協力してフォビオンの開発をすべきという意見を良く見ます。例えばフォビオンを使用したソニーのミラーレスカメラなどです。

A:そういうことでしたら、このインタビューの後でソニーのCEOに電話して、フォビオンを勧めておいてくれませんか?(笑)

個人的なことについて


Q:会社の経営に関して、あなたとあなたの父とで何か違いはありますか?

A:似たようなものだと思いますよ。父も自分のオフィスを持っていませんでしたし。実際、父の机は今でも技術部の真ん中に置いたままです。私の小さな机の隣にあります。父の机は在任していた時のままです。父も同じようにエンジニアとよく話をしていました。

ただ、父のほうが先見の明があったし、アイデアも豊富でした。私よりもはるかに強力なリーダーシップがありましたね。私はそんなに押しの強いリーダーではありませんし、あんなカリスマもありません。私は本当に普通の人間なんです。なので、エンジニアからの助けがたくさん必要です。助けを得るために、彼らの熱意や創造力、発想力を発揮できるような環境を作る必要があります。エンジニアを本当に頼りにしています。

Q:あなたの父は工学を専攻していたのですか?

A:そうです。父の専攻は電子工学です。しかし、彼が27歳で会社を創業した時には、必要な知識は全て持っていました。光学や機械については、専門の電子よりも詳しかったくらいです。彼は創業前に別の会社で働いていた時に、それらの知識を身に付けました。

Q:ではあなたの専攻は何なのですか?

A:経営学です。そして、入社後に機械設計部の責任者に任命されました(笑)

Q:でも、技術について何も知識がないのに、どうやってエンジニアを率いることができるのですか?

A:たぶん、みんな優しかったんです。最初は彼らが何を話しているのかさえわかりませんでした。しかし、皆が私にもわかるような方法で説明をしてくれました。そこのエンジニアからはたくさんのことを学びました。実際はわずか1年半しかその部署にいなかったんですけど。

Q:シグマのCEOとして最も難しい仕事は何ですか?

A:難しいですか?とりあえず従業員はみんな私を助けてくれます。社員や取引先から助けてもらえるので、私はとても恵まれていると思います。仕事はとても楽しいですよ。

Q:会社にはあなたよりも年配の従業員が多いのですか?

A:いやいやいや、私も結構な年齢です。ほとんどの社員は私よりも若いです。

Q:あなたの父からCEOであることについて何か学んだのですか?

A:そうですね。私が小さい時から父は「お前が会社を引き継ぎなさい」と言っていました。しかも、私の家は本社の最上階にありましたから。家を出て帰ってくる度に社員を顔を合わせて、おしゃべりをしていました。

Q:ということは、小さい時から会社を引き継ぐということをわかっていたのですか?

A:父が私に引き継いで欲しがっていることは知っていました。ただ、その能力はないと思っていたんですよ。そんなに賢い方ではなかったし、父のような強いリーダーシップもありませんでしたから。

Q:あなたの父に会社を継ぐことについて反論したりはしなかったのですか?そんな能力はない、と言ってみたりとか。

A:父はとても強い人だったので、そんなことは言えませんでした。会社を継ぐことについてはいつも母に相談していました。母はいつも「あなたの人生なのだから、あなたが自分で決めなさい」と言っていました。

Q:会社に入ったのはいつですか?

A:学校を出てすぐです。

Q:将来シグマを継ぐ準備のためにですか?

A:そうです。最初は別の大企業に入って、仕事のやり方を勉強しようと思っていたんですよ。けれども、大学の教授が卒業したらすぐにシグマに入ったほうが良いとアドバイスをしてくれました。その教授は元々民間企業で何年も働いていて、そのあとで大学教授になった方なんですけど、日本の企業文化について詳しかったんです。

例えば別の会社で10年やってプロジェクトリーダーみたいな肩書でシグマに入ったとすると、従業員は私を受け入れないかもしれません。私は創業者の息子という理由だけで帰ってきたとみなされるわけです。日本ではチームを作って感情を共有し、一緒に働くということが非常に大きな意味を持ちます。社員の理解を得て、チームを作ることを理解するには、若いうちに会社に入って一緒に働く方が良いんです。そうやって社員は私を受け入れて、リーダーとして認識してくれます。これがその教授からのアドバイスだったのですが、今思うと彼は正しかったですね。

Q:ということは、社員は皆、あなたがいずれは会社を継ぐということをわかっていたのですか?

A:うーん、そうだと思います、たぶん。会社に入る前から、たくさんの社員とはずっと知り合いだったんです。なにせ本社の上に家があったので、私も彼らを家族の一員のように感じていました。しかし、お互いをよく知っていることと、リーダーとして認められることは全く別の話です。創業者の息子が会社を継ぐだけでは、その人を尊敬するかどうかわかりませんから。なので、まずは同僚として受け入れてもらうことが大事でした。

Q:社員はあなたのことをどのように考えているのですか?

A:わかりません。電話して聞いてみてください(笑)。良いことを言って欲しいですけど、わからないですね。

Q:あなたの父は厳しい人でしたか?社員がミスをしたら怒るようなことがあったのでしょうか?あなたも厳しいのですか?

A:父はとても厳しかったです。彼は典型的な日本のエンジニアであり創業者だったと思います。社員がミスをすると怒ることもありました。それに対して私はとても気楽です。私があまりにも気軽なので、年配の社員の中には戸惑う人もいました。そういう社員は私にもっと厳しくするように、もっと威厳を持って振る舞うように言ってきます。でも、私はそういう性格ではないんですよ。なので、今でも肩肘張らずに冗談ばかり言っています。中には企業のトップとしてふさわしくないので、態度を変えるように言ってくる人もいるんですけど、単純にできないものはできないんですよね。

Q:あなたは自分の息子や娘に会社を継ぐことについて話をしていますか?

A:個人的にはしていません。私たちはもう本社の最上階に住んでいませんしね(笑)ただ、親戚の集まりなどで、誰かが息子にそういう話はしたみたいです。けれども、それが彼のプレッシャーになってほしくはないです。まだ12歳ですから。

Q:でも、あなたが12歳の時には既に父から会社を継ぐことは聞かされていたのですよね?

A:そうですね、もっと早かったです。確か6歳か7歳の時でした。最初は真面目に考えていなかったんですけど、時間が経つにつれて、とても大変で困難なことだとわかりました。私が13歳か14歳の時には、本当に会社を継ぐことが嫌でした。

Q:小さい時からあなたの父はずっと働いていたのですか?

A:そうです。朝から晩まで、平日も週末もです。基本的に365日ずっと仕事をしていました。

Q:そろそろインタビューの終わりに近づいてきました。台湾のユーザーに対して何か伝えておきたいことはありますか?

A:まずは、震災の援助をしていただいたことにお礼を申し上げたいと思います。台湾の方々が最も多くの寄付を日本にしてくれたと記憶しています。主に台湾からの寄付によって、津波被害を受けた病院を再建することが出来ました。日本人の一人として、台湾の人々の援助に厚く御礼を申し上げます。

また、台湾のユーザーにはシグマの製品をサポートしていただいてとても感謝しています。たくさんの台湾の方々にシグマの製品をご購入いただいています。製品を楽しく使ってもらうことは私たちのビジネスの基礎ですし、また大きなモチベーションでもあります。台湾のユーザーにはいつも感謝しています。