単焦点レンズの愉悦

イメージ 1
SIGMA 300mm F4 APO Telemacro

またぞろシグマの機材をヤフオクに出すことにした。迷ったが、300mm F4やDP2 Merrillも出すことにした。

理由としては、以前書いたように、クワトロ・MC-11+SONY α時代になって、旧式のレンズのAFが効かなくなった、というのが一つ目。もう一つは、クワトロセンサーが、少なくとも僕の考える「最高の画質」を達成しているので、それ以前のメリルセンサーや、さらに前の470万画素センサーに戻る理由があまりないということだ。

実際、今回かなり機材を手放して(DP1s、DP2SD14SD1 MerrillDP2 MerrillDP1x、DP2x:計7台)、手元に残ったシグマのカメラはSD15とsdQHだけになった(それプラス便利カメラとしてα7II)。SD15を残したのは、スポーツイベントを撮るときのために、連射の利くレフ機を残したかったから。sdQHで運動会を撮るのは正直かなりキツイ。α7IIは連射も速いし優秀だけれど、画質で考えたらRAW現像したSD15の方が僕は好みだ。

今回手放す中で一番思い入れがあるのは300mm F4。おそらく世界を探してもこのレンズ+シグマのカメラをメインで撮っていた人は僕しかいなかったと思う。flickrでもこのレンズを常用していた人は見かけなかった。


望遠単焦点というのは、通常は鳥や飛行機、スポーツなどを撮るのに使うと思う。ズームよりはレンズに明るさがあるので、速いシャッターを切れるし、ISOも低くできる。被写界深度も薄いので、主題を中心に画面を切り取ることができる。

その反面、サンニッパと比べると明るさが足りないとなってしまうので、画質を最優先し、機材の重さを気にしない人はサンニッパに行くだろうと思う。ある意味では中途半端なレンズなのだ。おそらくそのせいだろう、サンヨンというスペックのレンズは現在キヤノンニコンペンタックスといった、カメラメーカーからしか出ていない。互換レンズメーカーは出していないのだ。売れないからだろう。

しかし僕は、サンヨンというスペックのレンズが好きだ。なぜかというと軽いので「スナップ」に使えるからだ。サンヨンでスナップというとものすごく奇妙に響くと思うけど、僕はこのレンズをカメラに付けてプラプラと街を歩くのが好きだった。


単焦点レンズの最大の特徴は、焦点距離を変えれないということ。焦点距離は変わらないので、何か被写体を見つけたときに、迷わずシャッターが切れる。撮るときには構図だけを考える。そのスピードが自分には合っていたし、その不自由さがゆえに、工夫をすることで写真が上達したと思う。

スナップの場合は特にそうなのだけれど、だいたいの写真は一枚目が一番良い。撮りたいという気持ちがそのまま画面に出るから。撮りたいという気持ちを持ちながら、じゃあ絞りはどうしよう、構図は、焦点距離は、とやっていると、肝心の気持ちや被写体がどこかに行ってしまう。そうやって撮られた写真は、そつなく撮られているかもしれないけれど、どこかで見たような、心に届かないものになっていることが多い。



画面を操作できる余地があると、人は知らずに自分の心地よいものに向かってしまう。気づけばいつも同じようなものしか撮れなくなり、写真そのものに新鮮さを感じなくなってしまう。



ズームを使うとこういうことが起こる。「同じようなもの」しか撮れなくなる。単焦点はそうはいかない。なぜなら不自由だから。画面を「合わせる」ことができないから。だから工夫ができる。だから、自分にしか撮れないものが撮れる。僕はそう思う。

ある程度、そういうものに慣れてくると、ズームを使っても同じようなことができるようになると思う。しかし、写真を始めたばかりの時は、やはり単焦点でひたすら撮るという経験が必要なのではないか。

僕は「サンヨンでスナップ」という、おそらく他の人があまりやっていない撮り方でたくさん写真を撮って、自分なりの表現に近づけた。それが50mmや35mmや28mmだったら、たぶん僕はどこかで止まってしまっていたのではないかと思う。

ということで、このシグマ 300mm F4 APO Telemacroというレンズには感謝しかない。このレンズがあったから僕は今でも写真を撮っている。じゃあなぜ手放すのかというと、僕はもっと先に行きたいからだ。手元にあったら、たぶん僕は同じところにずっと居続けたままになってしまう。

たぶんカメラやレンズだけでなく、人も、仕事も、色々なものも、そうやって通り過ぎていくのだろう。成長というのは何かを失うことだと、誰かが言っていた気がする。たぶん僕は、少しずつ前に進みたいのだ。