トミオ・セイケ・トーク・イベント 「シグマDPシリーズのすべて」に行ってきました(その1)

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セイケさんの写真集「ZOE」に直筆で頂いたサイン



ブリッツ・ギャラリー主催で行われたセイケトミオさんの
トークイベント「シグマDPシリーズのすべて」に行ってきました。ゲストは福井信蔵さんでした。

面白いイベントだったので、あれこれ印象に残った話をまとめてみたいと思います。


まずセイケさんがDPとの出会いについてお話。

DP1のカタログが印象深かった。それがきっかけ」とのこと。

そこでしんぞーさんにそもそもいつ頃からシグマに関わるようになったのかセイケさんが質問

しんぞーさんはSD14の発売前からブランディングに関わり、試しに当時発売中だったSD10で写真を撮ってみたところ、他のメーカーのカメラの写真とは全く違う絵が出て驚いた。この「驚き」を何とかしてみんなに伝えたい、それが仕事の中心だった、と話されました。

SD14は一旦試作機が出来たけれども、基盤から来るノイズが処理できず、バンディングノイズがたくさん出た。それを解消するためにもう一度設計をやり直して絵を改善したら予定よりも1年遅れてしまった。とりあえずSD14の発売にこぎつけ、じゃあその後どうするかという時に、今は亡き山木会長が一眼レフのセンサーを使ったDPを開発するよう指示を出し、シグマの進むべき道が決まった。

けれども、一眼レフと同じ機能をそのままコンパクトボディに入れることは不可能なので、いかに余計な機能を削っていくかの戦いだった。実現が可能になったのは富士通と協力してできたTRUEという画像処理エンジンのおかげ。

DPはレンズとセンサーが一体型なので、最高の画質を達成できる。レンズの開発者も「開放からバンバン撮れる」と性能には自信があった。通常の一眼レフがレンズ+センサーの足し算だとしたら、DPはそれとは別次元の「掛け算」の画質になっており、未だにSDではDPの画質の写真が撮れない。

DP1は開放F4の単焦点レンズで、F2.8始まりが普通だったしんぞーさんにとっては慣れないカメラだった。撮影を進めていくうちに、自分で足を動かし絵を考えて撮るようになり、勉強になった。

しかし、サンプル写真はベータ機で撮影しており、メカ的な部分で開発が追いついておらず、撮影は大変だった。パリで撮影を始めたが、最初に持ち込んだベータ機はこわれてしまい、後で別の機体を送ってもらった。しかし、それも調子が悪く、丸一日分の撮影データがごっそり消えてしまっていたときはさすがに神に祈る気持ちだった。

(同じような体験をしんぞーさんはDP2の時にも経験されており、それはブログの記事で読めます)

しかし、セイケさんのプラハで使われたDP3 MerrillはDP1 DP2と2つ出してきたあとの機種なので、基本的な挙動に問題はなかった。唯一問題だったのが高感度時のバンディングノイズでISO200以上では撮影できなかった。メリルでちゃんとした写真を撮ろうと思ったらISO160が限度で、ISO200以上は厳しい。

ここでセイケさんからしんぞーさんに質問

「初代DP1はパリで、その後のDP2インドネシアだったけど何で?」

しんぞーさんによるとDP1がパリになったのは「パリなら歴史も建築も何でもあるからあそこ行きゃ何か撮れるだろう(笑)」という理由で決まった。DP2インドネシアになったのは、DP1の経験から、フォビオンで良い写真を撮るにはとにかく強い光だ、強い光のある場所じゃないと良さは発揮できないと考えて、熱帯にほど近いインドネシアを選んだ。

セイケさんのプラハの写真でまずしんぞーさんが感じたのは構図の強さ。カタログ冊子のサイズに合わせるためにどこかを切らなきゃいけないんだけど、切れない。完璧すぎてどこに手を入れればいいかわからない。

そういう作家性の強いセイケさんをDP3の撮影に選んだのは、今までのカタログとは違うものを作りたかったから。DP2 Merrillの時は「こんなにすごく精細に写りますよ」ということを見せたくてモロッコにした。DP1 Merrillはそれとはちょっと方向性を変えて、もう少し作家性の強い写真家を選ぶことで「こんなのも撮れますよ、試してみませんか?」と投げかける意味合いが強かった。

DP3は全く別で「撮れるものならこれを撮ってみろ」とあえて挑発的な作りにした。そのために本物の作家性を持つセイケさんに頼んだ。

セイケさんはプラハの街を歩きながら、雑踏の中から誰も気づかないような被写体を選び、完璧な構図で写し撮ってしまう。そして、これはという場所を見つけたら、同じ場所で30分以上も粘り、人が歩いてくるのを待つ。そういうものすごい集中力を目の当たりにした。

セイケさんは「写真には撮っている自分が写る」と話していた。

普通の人は綺麗な景色を見ていいなと思い、そのまま何も考えず撮って、フォトショップか何かで派手目の現像をして人から「綺麗だね」「いいね」と言われるだけで満足してしまう。

写真好きはそれからちょっと前に進んで、構図を工夫したり、被写体を選んだり、試行錯誤する。

セイケさんはそういう段階すらとっくに超えていて、生き方そのものが写真になっている。自分がそこに行って出会って感じたもの、その喜びをそのまま写真にしてしまう。だから人に届く写真が撮れる。カメラやレンズや技術的な話ではなく、そのはるか前の段階、写真を撮る自分をしっかりと持っているから被写体と素直に向き合える。

しんぞーさんはそういう濃密な体験をセイケさんとプラハで10日間過ごした。その後東京に帰ってきたら景色が全く違って見えた。今まで自分が見ていたものとは全く違うものの見方を、できるようになっていた。


ここまで黙ってしんぞーさんの話を聞いていたセイケさん。「まあ、そのとおりだとは思うんだけれども」と前置きした上で

撮影が始まって最初の二日間くらいはとにかく大変だった。自分が今まで慣れていたDP2とは全く感覚が違う。そもそも、自分はDPの使い方を全く知らなかった。マニュアルフォーカスのやり方も知らないし、液晶画面にグリッド線が出せるのも知らなかった。そういう機械的な扱いの部分をしんぞーさんは教えてくれた。しんぞーさんはDPの使い方はなんでも知ってる達人なので、カタログの写真が撮れたのもしんぞーさんのおかげ。

さっきのしんぞーさんの話にもあったように、フォビオンは強い光がないとうまく撮れない。プラハは光の強い街の印象があったからそこに決めて行ってみたが、ロケ期間中は雨や曇りばっかりで全然光が出なかった。そこでとりあえずカタログ的なものは諦めて、自分が撮ってきたようなやり方で撮れるものを撮るしかないと腹をくくった。

セイケさんは人のために写真は撮らない。今回はじめて他の人の依頼で写真を撮ってみたけど、現地の天候も良くないし、いつも自分が撮ってるように撮らせてくれと。そうやって撮り始めてから良いのが撮れるようになった。

セイケさんはとにかく良く歩く。朝の8時から自分の足で歩いて、街をくまなく見て回る。観光地的なものには近づかない。歩きながら出会うものを大事にする。いい場所に出会ったらそこで粘る。いくつも構図を変え、撮るたびにダメだったらデータをその場で消してしまう。

露出は2段アンダーにする。そうすることで余計なものが画面に映らなくなり、被写体に集中できる。

カタログ7ページ目にある葉っぱの写真。これを撮った時セイケさんはポツリと「頑張ってるよな」と言った。写真の中に、色や形だけではない、別の何かを常に見ている。セイケさんにとっては構図や色以前に、人として世の中にどう立ち向かっていくのか、それを示すのが写真なのではないか。

けれども、そうやって撮られた写真をいざしっかり分析してみると、全部きちんと黄金分割の比率が守られている。被写体の本質を抜き出し、それが人の心に届く写真になっている。

セイケさんは普段はライカを使っているが、レンジファインダーと液晶画面のライブビューはだいぶ勝手が違う。ライブビューは写ったものが全部見えてしまい、写りすぎてしまう。レンジファインダー機と一緒に持って行って、交互に使うといったことはできない。

良い写真を撮るには撮影する方も想像力を働かせなければいけない。ライブビューでは完成した絵がそのまま写ってしまうので、それが難しくなる。写真が人に届かないのは、見る人の想像力に訴えていないから。逆に写真を見る人も自分の想像力を働かせていかないと写真はわからない。

(ここで「セイケさんにとって、じゃあ一眼レフとは何なのか?」と聞いてみたかったんだけど、質問機会を逃しました(笑))

セイケさんはプラハの写真家スーデックのファンで、彼の撮ったプラハの光を自分も撮ってみたかった。


しかし、実際にプラハに行くと、スーデックの光はなかった。自分の光を撮るしかなかった。


「街に光はない。写真家の中に光はある。」