フォビオン・ストーリーズ(4) ディック・ライアンの少年時代(その2)




高校生になったディックは、しかし、クラスメートが写真に対してあまり興味がないことを知った。飛行中の蛾も、それよりもはるかに撮るのが難しかった落下中の水滴も、クラスの女の子にはどうでもいいことのようだった。ディックはどうすればクラスメートを驚かせられるんだろうかと考え、学校全部を一枚の写真に収めたパノラマ写真なら、みんなが驚くだろうと思った。ディックは卒業写真の担当委員になると、学校行事を盛んに撮影し、その一方でどうやってパノラマ写真を撮ればいいのか思案し始めた。

プロ用の機材は高価過ぎて手が出なかったので、ディックは自分でパノラマカメラを作るしかなかった。ウィリアム氏にも手伝ってもらいながらパノラマカメラの設計を開始した。360度のパノラマを撮るためには輪になったフィルムの周りをカメラがぐるっと一周しなければならない。ディックはツナ缶の周りにフィルムを貼り付けて、三脚に取り付け、その周りをカメラが一周するような機械を作った。カメラはクランクを回すとツナ缶の周りを動くので、フィルムを露光させながらカメラを回すとちょうど360度のパノラマ写真が撮れるはずだ。

実際にテスト撮影してみるとぼやけた画像しか写らなかった。カメラを動かすとツナ缶も動いてしまうので、鮮明な画像を撮影することができなかったのだ。ディックはカメラが回転するのと逆方向にフィルムを回転させれば、きれいなパノラマ写真が撮れるのではないかと考えた。まず、ツナ缶を三脚にしっかりと固定し、その周りをフィルムが動くようにローラーを取り付けた。フィルムを動かすローラーはカメラを回転させるクランクともつながっており、カメラが一回転するとちょうどフィルムも一周するように同期させた。実際に試写してみると、これまで以上に鮮明なパノラマ写真を撮ることが出来た。

ディックはさらに工夫と研究を重ね、レンズの焦点距離とツナ缶の直径が同じ長さの時に、最も明瞭な写真が撮れることがわかった。そのカメラを持って色々な所で白黒のパノラマ写真を撮った。このモノクロのパノラマカメラが「エル・パソアインシュタイン」ことディック・ライアンが初めて作ったカメラになった。

ディックの次の目標は、大きなプリントに耐えられるパノラマ写真を撮ることだ。それには1インチx1フィートのネガフィルムでは小さすぎたし、レンズとフィルムを回転させる精度も足りなかった。ディックは母が使っていたハンドミキサーを分解し、モーターを取り出すと、速度を自由に変えれるように改造してカメラに取り付けた。フィルムはコダックの航空写真用のものを使い、レンズも新しく通信販売で取り寄せた。装置全体を覆う木箱を合板とバルサ材で作り、内側を黒いペンキで塗りつぶした。

早速試写してみたが、回転速度が合わず、細長い写真しか撮れなかった。旋盤を使ってアクリル樹脂製の滑車を作り、ボールベアリングを使ってレンズがなめらかに回転するようにした。その結果、レンズとフィルムを正確に動かすことができるようになった。試写した結果は素晴らしいものだった。これがディックの二番目のカメラになった。

ディックは自作のカメラで撮ったパノラマ写真に満足していたが、唯一の不満はそれがモノクロだということだった。ディックが自作カメラと格闘していた1968年には、映画も雑誌も、家庭用カメラでさえもカラーになり始めていた。「卒業アルバムもじきにカラーになるだろう。エル・パソはそんなに色彩豊かな街じゃないけど、それでもみんな写真はカラーで見たいはずだ」とディックは考えた。

しかし、当時カラー写真の撮影はモノクロ写真よりも遥かに難しかった。光の三原色の赤、青、緑のそれぞれの輝度を正確に測り、その平均値を元に露出を決めなければならない。また、現像作業も複雑で、多くの工程を厳密な温度管理のもとで、正確に行う必要があった。

しかし、ディックは学校全部を写したフルカラーのパノラマ写真を撮ってみたかった。赤茶けた校庭、セピア色の校舎、体育館、テニスコート、その脇にある駐車場に停められた色とりどりの車、芝生とそれにそって生い茂る草花。その全てを一枚の写真に写しとってみたかった。

航空写真用に作られた5.25インチ×5フィートのコダック・エクタクロームなら、自分の撮りたいパノラマ写真が撮れるだろうとディックは考えた。しかし、エル・パソ近郊でそのフィルムを安価で現像してくれる場所は一つもな。仕方ないのでディックは自分でコダックE-3現像の方法を学ぶことにした。現像は全部で15もの工程に別れており、その全てを適切な温度で行う必要があった。ディックは現像のために台所を占拠し、部屋を全部暗室に変えてしまった。「妻はディックを許さないだろうね」と父ウィリアムは語った。

1970年のオースティン高校の卒業アルバムには、4つ折りの巨大なパノラマ写真が綴じられている。表面はモノクロの120度のパノラマ写真。プロが専用の機材を使って撮影したと思わせるような、見事で精緻な写真だ。裏面はほとんど360度に近いフルカラーのパノラマ写真だ。端から端まで、学校の施設全てが写し出されていた。緑の芝生のふちに黄色い花が咲き並び、三階建ての本校舎の前には真っ赤なフォルクスワーゲン・ビートルが停められていた。ディックは360度の全周写真を作りたかったが、製本の都合でページ1枚分短くなってしまった。しかしそれでもなお、当時の高校の卒業アルバムとしては破格で、類を見ないものだった。

パノラマ写真の下には、ディック自身が写真について解説した短いコメントがある。

「レンズを正確に回転させるためにフィルムとモーターの調整がすごく大変だった。これがついに撮れたときは喜びのあまり、何度も宙返りしそうになったよ!」

ディックはパノラマ写真についての論文を書いて、テキサス・ジュニア科学アカデミーの高校生部門に応募した。その論文は金賞を獲得し、彼は授賞式でスピーチをすることになった。

「これは僕の作った3番目のカメラだ。次に作る4番目のカメラはこれよりも、もっとすごいものになるよ。今から楽しみにしててほしい」

ディックが4番目のカメラを作ったのは、それから実に20年以上も経った後のことだ。

ディック・ライアンが、ディック・メリル、カーバー・ミードと協力して作り上げたそのカメラは「フォビオン」という名前だった。