シグマ会津工場潜入レポート(その1)



シグマCEOの山木和人氏からシグマの会津工場を見学に来ないかと誘われたのは、日本を旅行中の今年の8月のことだ。エンジニアでありカメラマニアでもある私にとって、この誘いを断るのはほとんど不可能だった。シグマはサードパーティーレンズというものが市場に登場してからずっと、業界のリーダーであり続けている。かつては安価な互換レンズの製造会社だと思われていたが、ここ数年発売された製品によって、妥協のない性能の最高品質レンズを製造・販売するメーカーへと変わり続けている。

最近行ったレビューでは、シグマの18-35mm F1.8 DC HSM Artレンズを「これまでテストした中で最高のF値固定ズームレンズ」と評価した。このようなレンズを作っている工場の中は一体どうなっているのか、今回のツアーでじっくりと観察することができた。

大阪から飛行機で福島空港に到着すると、シグマのヨーロッパ・マーケティング・マネージャーである山木しんじ氏が出迎えてくれた。空港から車で90分ほど走ると、シグマの会津工場に到着する。シグマは設立からわずか数年で会津で生産を始めており、会津工場はずっと製造の要だった。会津という土地それ自体、明治維新での悲劇的な役割によって、日本の他の地域からずっと隔離された状態であった。このことが会津に独特の文化を育み、シグマが会津に工場を作る要因にもなった。

現CEO山木和人氏の父である山木道広氏がシグマを設立してすぐに直面した問題は、熟練した技術者が東京ではほとんど見つけられない、ということだった。当時はカメラ産業のブームで、技術のある職人はすでにライバル会社に採用されてしまっていたのだ。

道広氏は会津出身の技術者から、会津の人たちの勤勉さと、細かな作業に対する集中力のすごさを聞いた。さっそく道広氏が採用のために現地に向かうと、待ち構えていたのは、農民たちの振るまう地酒と、工場設立の懇願だった。地元の人たちは農作業の合間に出来る仕事を求めていたのだ。酒の勢いもあってか、道広氏は「よし、じゃあ工場を作ろうじゃないか」と約束してしまった。

次の日の朝、道広氏が冗談で言ったつもりだった工場設立の話は、農民たちに真剣に受け止められていた。彼らの真剣さに気圧された道広氏は、散々考えて、ある家の一部屋を借り、そこに旋盤を設置して作業する技師を一人雇った。シグマの会津工場の歴史は、こうやって始まったのである。


道広氏はすぐに、会津の人々がとても勤勉で、普通の人がすぐに音を上げてしまうような細かな作業でも、驚異的な集中力を持続できることを知った。それからいくつか紆余曲折があったが、1970年代に最初の工場の建設が行われた。工場はそれからも拡張を続け、現在では最新設備を満載した5万平方フィート(4700平方メートル)もの大きさになる。これはアメリカンフットボールのフィールド1つ半分もの大きさで、そのほとんどの部分が製造機器で埋め尽くされている。上の図は工場のレイアウトだ。

シグマの特徴の一つは、製造工程における垂直統合の徹底である。レンズの研磨、非球面レンズの生成、鏡筒その他で使われる金属部品の加工、プラスチック部品の射出成形、射出成形に使われる金型の作成、レンズコーティング、最終組立、その他の工程を、シグマは全て自社で行っているのである。

工場を訪れてすぐに、私はその規模の大きさに圧倒された。しかし、それよりも驚いたのは、工場内の清潔さである。レンズ製造部門では、研磨剤とガラスの混じった研磨液によってレンズが磨かれているが、そんな場所であっても常に清潔に保たれていた。研磨機の横の通路であっても、そこで食事をするのに問題はないくらいだ。レンズ研磨のように清潔さが製造に影響を与えない場所もあるが、工場の全てで清潔であることが徹底されている。


レンズ製造

レンズ製造はガラス素材をレンズの形に削って磨いていくことから始まる。シグマでは通常の球面レンズを作るときに、この作業を行う。まず曲面を生成し、表面をならして、それから研磨する。それに対して非球面レンズは精密な金型にレンズを高圧でプレスすることで作られる。



まず機械が円形のガラス素材をトレーから取り出し、回転する研磨機に押し付けて徐々に球面を作っていく。研磨機の角度は設計通りの面が作れるように設定されており、研磨が終わるとレンズはトレーに戻る。上の写真は研磨前の白いガラス素材を機械のアームが持ち上げているところである。



上は実際にガラスを研磨して球面を生成しているところである。中央にある白い回転軸の先端にガラスがあり、白い箱の中で研磨が行われている。こうすることで研磨剤や液体が飛び散るのを防いでいる。



上の写真はレンズ表面をならす機械である。先ほどの研磨で使ったものよりも粒子の細かな研磨剤を使い、レンズ表面の細かな凹凸をならしていく。この段階ではレンズの曲面の形はほとんど変わらない。



最後にレンズ表面を磨いていく。写真に写っている機械は直径の大きなレンズを磨くためのもので、これはその中でも凹面を磨くための機械である。ここで表面を磨いて、レンズは最終的な形になる。通常は、レンズを最終的に磨き終わるまで3つから4つの工程が必要だ。また、注目して欲しいのは、研磨をしている工程でありながら、床にはシミひとつ付いていない。私は他のレンズ工場の見学をしたこともあるが、ここまで綺麗な工場は見たことがない。



レンズの製造には多くの工程が必要だが、シグマの設備は驚くべき数である。上の写真に写っているのは工場にある研磨室のだいたい半分だ。これのさらに二倍の大きさの研磨室がもう一つ別にあり、そこにも同じような機械が並んでいる。つまり、この写真に写っているのはシグマの所有している研磨機の、二割くらいにすぎない。

今まで見てきたような研磨工程では、球面レンズしか製造できない。しかし、非球面レンズを使えば、レンズの球面収差をなくすことができる。また、複数のレンズの組み合わせと同じ効果を一枚のエレメントに持たせられるので、レンズ全体をコンパクトにすることができる。



非球面レンズを研磨して製造することは可能だが、金型を使ってプレスしたほうが圧倒的に効率的だ。上の写真はタングステンなどの耐熱金属でできた超精密な金型に、ガラス素材を高温でプレスする機械である。この方法で非球面レンズを製造するためには、高温のガラスにかかる圧力や歪みを正確に計算し、レンズ表面を1マイクロメートル(1/1000mm)以下のレベルで正確に形成しなければならない。

写真からはわかりづらいが、複数の加熱・冷却工程も含めてすべての作業が隔離室の中で行われている。シグマの他の設備と同様に、この非球面レンズを製造する機械も工場内に大量にあり、一台につき3000万から4000万円のコストがかかっている。



レンズは研磨されると、次に「芯出し」と呼ばれる作業が行われる。制御装置の間に挟まれたレンズは高速回転して、レンズの縁を回転する研磨機が削っていく。研磨中は常に潤滑剤が流れており、研磨機に取り付けられた吸引器が飛び散ったしずくを吸い取るようになっている。しかし、わずかなしずくが吸い取られずに飛散し、床が少し滑りやすくなっている。シグマの工場内で床が汚れていたのはこの工程だけだったことは特筆しておきたい。この芯出しが終わることで、レンズの縁は滑らかな斜面になり、中心と外周が同心円状の、最終的な製品と同じ形になる。



研磨機と同様に、芯出しをする機械も大量に稼働している。上の写真に写っているのはその一部である。



シグマの工場には品質管理のための検査機器が数多くある。上の写真はレンズが設計通りの形状になっているかチェックするための装置だ。これはレーザー光をレンズに照射して、その反射を調べているところで、その結果がデータと合致していれば、レンズ形状は正確だと判断される。



レンズ製造の最終工程はコーティングだ。コーティングをすることで、レンズ内部の光の反射を減らし、フレアやゴーストを抑え、コントラストを向上させることができる。研磨を終えたレンズは巨大な円盤の上に並べられ、この円盤ごと、真空の蒸着機にかけられる。上の写真は、研磨と芯出しを終えたレンズを円盤に並べているところだ。

私はこの作業を素手で行っているのに気づいて驚いた。というのも、皮脂がレンズに付着すると、機械にもコーティングにも悪影響を及ぼすからだ。しかし、すぐに素手で作業を行っているのではなく、透明な薄い指サックをはめているだけだとわかった。この方がゴム手袋をはめるより、より正確に作業を行えるし、一日中ゴム手袋をはめることの煩わしさに耐えなくても良くなるのだ。

コーティングを行う真空蒸着機はとても奥まったところにあるので写真を撮れなかった。とても巨大な装置だ。中央にある減圧室はポンプにつながっており、そこから空気を抜いていく。ドアは完全にロックされるようになっており、そこからレンズを並べた円盤を減圧室に入れる。減圧室の下部にはコーティング材料が置かれており、タングステンや電子ビームによって熱せられ、昇華される。このような大きな装置の場合、電子ビームで熱して昇華させるのが普通だ。減圧室の中は真空で、コーティング材料の昇華を妨げる物質は存在していない。コーティング材料の分子は真空中を真っ直ぐ円盤に向かって飛んでいき、そこに並んだレンズ表面に付着する。蒸着の間、円盤は回転をし続けているので、コーティングはレンズ表面に均一に行われる。山木氏によると、この蒸着機が工場の中で一番高価な装置だそうだ。一台に付き一億円ほどするという。