僕らは何を撮影すべきか、あるいはSIGMA DP1 Merrillとその広告について(その1)

by Paul Thacher



日が沈む頃、高層ビルから窓を開けると、都会のざわめきが遠くに聞こえる。

僕はまどろみの中で雨降りと雷の音を聞いた。ホテルのカーテンの隙間から、青白んだ朝の光がかすかに差し込む。うっすらと目を開けると、ここがいつもの僕の部屋ではないことに気づく。

僕は起き上がり、服を着替える。数分後、僕は古ぼけたミニバンの運転席にいて、曲がりくねる道を駆け上がっていくところだった。

急げ、急げ。早く、早く。オレゴン州モーピン、その町外れにある高台に向かって、急斜面を登っていく。僕がようやく頂上にたどり着き、車を止めると、まさに太陽が水平線から登り始めるところだった。僕がいたのはベイクオーブン発電所の巨大な鉄骨の真下で、発電所から発せられる重低音が体中に響いていた。

それは朝の4時45分で、今まで経験してきた中で、最も誇らしい仕事の始まりだった。SIGMA DP1 Merrill。小さなボディの中に恐るべきポテンシャルを秘めたカメラ。世界展開するその新型カメラの広告のオリジナル写真を、僕は今まさに撮り始めようとしていた。


その6週間前、僕はある連絡を受け取った。それは僕がDP1 Merrillの広告写真の撮影者に選ばれたことを知らせるもので、その詳細は日本の代理店であるgraphica 6+から、後日伝えられることになっていた。僕は彼らと一緒に仕事をするらしい。

これはすごいことになったと、僕は思った。いったい僕は、どんな僻地に飛ばされるのだろうか?フェロー諸島だろうか?それともアイスランド?そういった北方の島々は最近のトレンドだ。僕は航空料金を計算したり、スケジュールを確認したりして、どこでどんな写真を撮ろうかあれこれ頭の中で考えていた。

一週間後、僕は撮影場所が決まったという知らせを受けた。それはスカンジナビア訛りの英語が話される、ロマンティックな氷の世界ではなかった。撮影場所はオレゴンだった。


僕は窓の外を見た。目の前に、僕がこれから写さなきゃならないものが広がっていた。


僕はがっかりしたわけじゃない。ただ、どうすればいいのかわからなかった。そもそも、その広告を見る人たちがオレゴンが何なのか、知ってるのかどうかもわからなかった。世界はひょっとしたら、僕が思ってるよりもずっと狭いのかもしれないけれど。

僕が心配だったのは、この広告のために誰を写せばいいのかということ。その人は力強く、僕らと共通点があって、見る人の感情を引き起こす、思慮深い、気取った部分が何もない、そういう人でなければならない。その人を見ることで、僕らの中にある暖かな記憶、はるか遠くに消えてしまった家族との思い出、そういうものが自然と想起される、そんな人だ。それを撮るのが、僕の仕事だ。いつだって、僕はそういうものを目指してきた。

けれどもその前に、僕は最初の疑問に戻らなければならない。そもそも、オレゴンとは何だ?

もし撮影場所がパリなら、世界中の誰もがあの「パリ」を頭の中に思い浮かべる。「ハバナ」だってそうかもしれない。カリブ海の美しい光、褐色の若いボクサー、そして美女。1962年のキューバ危機より前に、僕らがハバナに抱いていたのは、こういう光景だ。

DP1 Merrillの姉妹機であるDP2 Merrillの広告だってわかりやすい。撮影場所はモロッコだ。あの国特有の色彩、アラビア文字、古くから栄えた交易の街。僕らはそういうものを脳裏に浮かべることができる。

オレゴン州。カリフォルニアの北に位置するこの州は、アメリカの中でも最も視覚的・地理的に変化に富んだ場所だ。太平洋沿岸は、海から見える距離に火山が立ち並び、その麓は降雨量も多くみずみずしい緑が生い茂っている。車で東に二時間ほどで標高4000メートルにも達するカスケード山脈に着く。冬になると絶え間なく雪が降り積もり、山は毎年白く染まる。

カスケード山脈を越えてさらに東に進むと、雨量は急激に減少し、年間降水量25センチ以下の高地にたどり着く。西の山脈よりも標高の高いこの場所は、冬は凍てつくように寒く、夏は猛暑だ。州の北部では絶え間なく猛烈な風が吹いており、世界最大の風力発電所の一つが、ダルズ市のすぐ東のワスコ郡にある。

オレゴンと聞いてこういった情報がすぐに頭に浮かぶ人は、世界にもほとんどいないだろうと僕は思う。日本の代理店もオレゴンについて、はっきりとしたイメージは持っていなかった。日本のシグマ本社はなおさらだろう。

少し調べてみたら、かつて日本で「オレゴンから愛」というテレビドラマが放送されていたことがわかった。両親を交通事故で失った9歳の少年が、親戚の住むオレゴンにやってくるというあらすじだ。彼らの家はカスケード山脈の東、オレゴン州の中央に位置していた。僕がわかったのはこれだけだった。けれども、どんな色彩でオレゴンを撮ればいいのか、その手がかりが掴めただけでも良かった。それは緑ではない。褐色の大地だ。森と海ではない。高原の砂漠と、牧草地だ。

僕が撮影をした場所が、実際にテレビドラマの撮影に使われたのとほとんど同じ場所だったのを知ったのは、撮影が終わったあとだった。


オレゴンではテレビや映画の撮影が多く、映像産業は成長を続けている。ここでは有名な映画俳優や様々な著名人が、カフェでコーヒーを飲んでるのを見かけるのは珍しくない。僕の家とスタジオはポートランド郊外のソービー島にある。聞くところによると映画監督のガス・ヴァン・サントが島の反対側に住んでいるらしいんだけど、僕は今まで彼からコーヒーに誘われたことは一度もない。

オレゴンには撮影場所を提供する会社や、どこでどんな景色が撮れるのか案内するウェブサイトや目録まであり、それが一つの産業となっている。僕はそれらを一応確認してみたが、少し寒気がした。有名なテレビタレントは特定のアングルからだけ綺麗に見えるようなもので、他のエンターテイメントと同じく、そういう場所には見せかけのものしか存在しないのだ。僕が探しているものは、ここにはないのだろう。

別の場所を探している時に、トラベルオレゴンに勤めている友人のカレン・バイフーバーから、とある女性の話を聞いた。カレンがその女性と出会ったのは、5年前に地元のホテルで開かれたとある会議でのことで、彼女の名前だけではなく、どこに住んでいて何をしているのかまで覚えているという。そんな昔のことを覚えているということは、カレンが人並み外れた記憶力を持っているのでなければ、その女性が特別な何かを持っているということなのだろう。

ジェニー・カーヴァー。彼女と夫のダン、そして他の4人はインペリアル・ストック・ランチを運営している。130平方キロメートルにもなる高地の牧草地に麦を植え、コロンビア種の牧羊と牧牛を飼育している。僕が最初にジェニーと電話で話をした時から、ここが僕の撮影場所になると確信していた。




心からあふれる誠実さというものは、現代社会の中からほとんど消えさってしまった。例えば、スコセッシの映画を見るときに、僕はかすかに困惑を感じる。それは、誠実に生きることを適度に行うことで、人生における何か大事なものを作り上げることができるというものだ。あたかもタンパク質が体を作るのに必須であるように。

けれども、もちろんそれは真実ではない。映画というのは結局のところ、それぞれの人の心のなかにある何か美しいものを、お金に交換する装置なのだ。エンターテイメントは時として、それそのものが残酷で暴力的なものになる。そしていつだって、スクリーンの裏側では貨幣が飛び交っている。僕らはお金を払い、誠実であることの大事さを知る。これほど悲しい交換があるだろうか。

僕がこれまでやってきた仕事の中で必ず追求してきたものは、自分の目の前にある現象から立ち上がる、何か感情を揺さぶるものを捉えることだ。去年のことだが、僕は友人のアートディレクターの肖像写真を撮影した。彼は生まれ育ったスコットランドの訛りで、カメラを指差して言った。「こういうものは嘘をつかないんだよ」


Patrick McMahon 20110508 (c) Paul Thacker 2011


上の写真がその時撮った三枚のうちの一つだ。撮影が終わると彼はすぐにどこかに行ってしまった。まるで初秋の早朝の白い息が、瞬く間に消えてしまったかのように。僕が彼と一緒にいたのは、本当に短い時間だった。その、ごく僅かな時間に、僕らの間で何かが交わされた。何かと何かが触れあった。人と人との間で。いきものといきものとの間で。

こういった交換がもっとも良く現れている作品の一つにセバスチャン・サルガドの作品がある。彼の作品からは常に愛情が溢れ出ており、作家の自尊心といったものが、画面から完全に消えさっている。