さようなら、カメラたち

元記事:GOODBYE, CAMERAS



去年の10月のことだった。ちょうど紅葉が始まる前に、僕は日本の和歌山に6日間のハイキングに出かけた。熊野古道とよばれる、かつて日本の皇族たちが参拝を行った山道を巡る旅だ。

僕はその旅に、高性能なカメラを持って行った。カメラは自分にとって必要不可欠な表現のための道具だとずっと思っていたので、持っていくのに何の疑問も持たなかった。けれどもその旅から帰ると、僕は一つのことを確信するに至った。

自分にとってカメラはもう必要ないものだし、それは僕以外のほとんど全ての人にとってもそうだ、ということ。

もう、ほとんど人たちは既に、カメラを使わなくなっているのだから。


僕のカメラへの情熱は10代の頃に遡る。本気で写真を撮り始めたのは、2000年に大学生として東京に留学してからだ。その当時の東京には中古カメラ屋がたくさんあり、店には埃にまみれて油っぽい、傷や凹みのあるボディやレンズが数多く並んでいた。平日の午後になると僕はそれらの店を見て回り、生意気にも、あるカメラが別のカメラよりいい理由を聞いて回っては店主を不機嫌にさせていた。心の底ではライカM3が欲しかったんだけど、当時はボディだけで15万円もしたし、良いレンズはその倍の値段だった。学生だった僕は結局、ニコンのF801を選んだ。F801は1988年の発売当時は「未来のカメラ」と騒がれた機種だ。僕はそれに安い50mmレンズを付けて東京から福岡までヒッチハイクで回る一ヶ月の旅に出た。僕のバックパックは適切に露光されたフィルムで一杯になっていった。

僕はフジのベルビアしか使わなかった。彩度の高いあの色に惹かれたのと、ISO50で撮ることに挑戦してみたかったからだ。ISOが低ければ低いほど光への感度は悪くなる。なので、撮影は難しくなるんだけど、滑らかで光り輝くような画像が撮れる。それに対して、ISOが高いフィルムはほんの少しの光でも実用的な写真が撮れるんだけど、画像は荒く、まるで紙やすりのようにざらついている。フィルムを現像に出して返ってくるのを待っている時は、不安と期待が入り混じった複雑な気持ちだった。僕がファインダー越しに見たあの景色は、しっかりとフィルムに焼き付いているのだろうか?懸念は杞憂に終わり、僕は何百もの美しい、浮世離れしたスライドを受け取り、何週間もの間それをずっと眺めていた。


その二年後、僕はeBayを使って中古のハッセルブラッド500cを手に入れた。有名な中判カメラだ。このカメラはマニアの間ではウォルター・シラーが1962年にマーキュリー号で宇宙飛行した時に持っていったカメラとして有名で、NASAはこのスウェーデン製のカメラを長い間宇宙で使い続けた。

中判カメラはフィルムサイズにもよるけれど、35mmフィルムの2倍から6倍もの大きさのフィルムで撮影ができる。カメラのサイズは大きくなるし、持ち運びも不便になるけれど、被写体の細部まで精緻に写し撮ることができる。例えば、1メートルくらい離れた所から硬貨を手にしている男性を、同じ焦点距離で、iPhone、35mmのカメラ、中判でそれぞれ撮ったとしよう。iPhoneで撮ったら男性が硬貨を持っていることは確認できる。35mmだったら、それがどんな硬貨かはっきりわかる。でもハッセルブラッドだったらそれの製造年がいつなのかまでわかるんだ。

ハッセルブラッド500cを実際に手にとってみると、ただの箱にしか見えないカメラに、どうしてあんなに大金をはたいたのか信じられなくなる。ハッセルは実際にただの穴の空いた箱にすぎない。背面にフィルムがセットされ、前にレンズを付ける。シャッターはその間にあり、それを開く時間によって、どれくらいの光がフィルムに届くのか調節できる。ほとんどのカメラはその機能が自動化されて、ただの箱以上の装置になっているんだけど、ハッセルは違う。電子部品もないし、オートフォーカスもない。露出計もなければフィルムを自動で巻き上げることもできない。フィルム一つで12枚しか撮れない。でも、それはとても美しく作られている。全ての部品が堅牢で、精密に組み合わさるようにできている。


カメラの機能そのものがとても単純なので、ハッセルブラッド500cで撮影する時は、他のカメラとは違ってとても慎重にならないといけない。まず撮影の準備をする。深く息を吸い込み、光や影や被写体が最高の条件を狙ってシャッターを切る。布幕が開き、そして重苦しい音を立ててシャッターが閉じる僅かな間に、僕は祈りの言葉をつぶやく。その感触はまるでカメラが入ってくる光の光子をモグモグと食べているかのようだ。僕はハッセルと良いレンズで撮られた写真を眺めるのが好きだった。今そのカメラは僕の机の上にただ置かれているだけだ。頑固なまでに単純化されたその機構は、デザイナーであるシクステン・セゾンが追求した、ミニマリズムの記念碑だ。


2004年の暮、大学を卒業した僕は、お金をかき集めて最初のデジタルカメラニコンD70を買った。ニコンF801と基本的に同じカメラなんだけど、一つだけ違うのは光はフィルムにではなくセンサーに届くということだ。これはたいした違いではないかもしれないけれど、僕にとっては不安の種だった。何千とまでは行かないにしても、何百ものモノクロフィルムを、換気が十分じゃない、薬品にまみれた大学生用のアパートで、僕はずっと現像してきた。ハロゲン化銀の中からぼんやりと現れてくる画像、手についた酢酸の臭い、それを失うことを、僕は悲しく思わないだろうか?


しかし僕は、すぐにフィルムを使わなくなった。デジタルカメラのメリットがあまりにも計り知れなかったからだ。撮影したものは即座に背面の液晶パネルで確認できるし、フィルムの保存の心配をしなくても、何千枚もの写真を旅行中に撮ることができる。もう僕はX線によって画像が消えてしまうことを恐れなくても良くなった。

D70にはロマンのかけらもない。ハッセルブラッド500cにあった、未成熟だけれども魅力的な、機械を操作する喜びというものが、デジタルカメラにはないのだ。また、デジタルになることで、それまでの約150年の写真の歴史で培われてきた、撮影・現像・印刷という区切りが、完全に無くなってしまった。

クリエイティブな仕事をしている人は皆わかっていることだけど、作品から一旦離れる時間というのはとても貴重だ。デジタル以前、ポラロイドを除けば、写真はそういった区切りから逃れることはできなかった。どれほど急いだとしても、早くて数時間、下手すると数日や数週間も、撮影から現像まで時間がかかっていた。デジタルによって、そういったのんびりと間延びした時間が、めちゃくちゃに縮められてしまったのだ。


2009年になると、5年落ちのD70は20年前のF801と同じくらい古びたカメラに感じるようになった。たった610万画素しか撮影できないので、スマホよりも画素数は少ないし、背面液晶は切手かと思うくらい小さかった。そこで、ふとした思いつきで、僕は最新のマイクロフォーサーズ機であるパナソニックのGF1を買った。

GF1とマイクロフォーサーズという奇妙な名前のカメラは、新しい時代の先駆けだった。ほとんどの35mmフィルムカメラと、そのデジタルバージョンは一眼レフだからだ。典型的な一眼レフは、ファインダーを覗くと二回反射した画像を見ることになる。まずレンズから入った光はフィルムの前にある鏡を反射し、その後ファインダー内にあるペンタプリズムによってもう一度反射した光がファインダーに届く。撮影の時にシャッターを押すと、鏡がカタッという音とともに上方に跳ね上がり、フィルムやセンサーに光が届き、画像を記録できる。GF1は鏡もファインダーも持たないことで、驚くべきほど小型で軽量なカメラだった。

僕がネパール中央にあるアンナプルナ山のベースキャンプに行った時、GF1はとても軽量で、ずっと首にかけたまま登山を終えることができたし、撮影の結果も上出来だった。特にファインダーを覗いて撮影をしなくてもいいというのが役に立った。これはポートレートを撮る時のカメラの役割を変えてしまうくらいインパクトがあると思う。とある長期の撮影旅行の時に僕はこう書き残した。


「善かれ悪しかれ、ファインダーのないカメラというのは、被写体を意識させない。僕は撮影の時、半分人間で半分カメラであるような態度を、もうとらなくても良くなった。スナップや、本当にリアルな写真を撮ろうとする時に役に立つ。人は被写体になろうとしない。その人のままでいてくれるんだ」


その2年半後、僕はGF1からその改良版であるGX1へとカメラを替えた。そのカメラを持って、僕は熊野古道への6日間の旅行に出かけた。その際中、僕はGX1とiPhone5を交互に使って撮影を行った。

撮られた画像をAdobeの写真現像ソフトLightroomに取り込むと、GX1とiPhone5の写真の違いがあまりないように思えてきた。iPhone5は最新のスマホじゃない。聞くところによると最新のiPhone5sの画像はさらに良いらしい。

もちろん、画像を拡大して見比べればその違いは明白だ。iPhone5はGX1よりもハイライトのディテールが足りないし、暗いところでは綺麗に撮れない。また、露出を変えるみたいな大幅な変更もできない。けれども、これから数年先の、iPhone6sくらいの世代になれば、熊野古道を歩くような時に、スマホよりもかさばるカメラを持ち歩く理由はなくなってるのは確かだと思う。


道中で一番楽しかったことは、友人や家族と撮影した山中の写真をすぐにシェアできたことだ。杉の並木の間から降り注ぐ、黄金に輝く朝日、山登りをしている最中に遭遇した深い渓谷を臨む絶景。そういうものに出会う度に、僕はGX1ではなくiPhoneを取り出し、撮影して編集し、数分以内にネットにアップした。

写真にネットを使うようになってから、僕はスマホの画面で画像を編集するのを楽しむようになっていった。写真がデジタルになってから、手作業で写真を編集することはほとんど無くなってしまい、操作はずっとマウスで行うようになっていた。けれども、スマホの画面を指先でいじっていると、僕がかつてフィルムで行っていた、薬品の臭いや、印画紙や、薬液の感触が、頭のなかにまざまざと蘇ってくる。写真がデジタルになって、フィルムで必要だったプロセスが一瞬で終わるようになってしまったけれど、スマートフォンはそれをさらに推し進め、撮影、編集、配置、シェア、その返事までを一瞬で終わらせてしまうことができるのだ。

旅行の間、僕はたくさんのものを見て、たくさんのものを撮った。熊野の森から帰るころには、そこで体験した光景の写真と、それにまつわるネット上の友達との会話が、大量に残されていた。


フィルムからデジタルに変わった時と同じような変化が、カメラと、レンズ付きスマホとの間で起こっている。僕らはかつてフィルムやセンサーのサイズにこだわってきた。けれども今では写真のほとんどを、僕らはネットで見る。何で撮られたかに関係なく、僕らが写真を見るのは小さな液晶ディスプレイだ。さらにネット上の写真は、その画像だけではなく、撮影場所や、天気、あるいは放射線量といった情報までも付け加えることができる。人のいないただの平野の写真が、例えば福島で撮られたという情報を付け加えることで、全く別の意味合いを持つようになる。

写真の中に、例えば自分の行動範囲や、健康状態、社会的地位や心理状況を付け加え、それをFacebookTwitterなどのSNSサイトにアップすることで、それぞれの写真が持つ意味が全く変わり、これまでと違う世界が開けてくることに気づくはずだ。写真をこういう文脈で捉えるようになると、普通のカメラによって撮られた写真は、それがどれほどの画素数であっても、それ自体では全く価値を持たなくなったことがわかる。もうカメラでは「写真」を写せないのだ。


ニコンD70は、かつて僕が切望したライカM3と、スマートフォンとの間を埋めるものに過ぎなかった。ニコンF801からD70、GX1とカメラの変化を辿って行くと、そこには一つの流れがあることがわかる。

カメラは、ネットワークに繋がったレンズになる。

スーザン・ソンタグはかつてこのように書いた。「写真はすべてのものを撮りつくす。そして写真に撮られないものの価値はどんどんなくなっていく」

僕は今ならこう言うだろう。

「ネットに繋がっていないものの価値はどんどんなくなっていく」と。