写真が上手くなりたいんだがどうしたもんか(第六回)

前回のまとめ



勉強足りないから良い写真をちゃんと見ろ



という話でした(笑)


さて、でもじゃあ写真見ろって言っても一体何を見ればいいのかわかりません。本屋さんに行って写真集片っ端から買ってくるってのもお金が足りません。

そもそも良い写真って何?どこにあんの?誰が決めるの?とよくよく考えるとわけがわからなくなります。

日本で一番有名な写真家は木村伊兵衛土門拳なのかな?そうだよね?

で、世界的に有名なのはたぶんロバート・キャパカルティエブレッソンだよね?

で、そういう人たちは昔の人なので、あんま参考にならないような気もしないでもない、というかよくわからない。

そもそも自分は何を撮りたいの?ってこともちゃんとわかってないと、何を参考にすべきなのかってのは見えてこないような。


もちろん、方法論として、とりあえず闇雲でもいいから写真何でも見て、何でもいいから写真撮ってって、とにかく実行するってのも手です。

が、それでちゃんと成長していけるのは、よっぽどセンスがいいか、時間のある学生とかだけなんじゃないかと。

社会人やってると週に写真撮れる時間は半日だけ、って状況が当たり前になります。そんだけしか時間がないのに闇雲に動くのは明らかに非効率でしょう。なので、とりあえずどこかの時点で自分は何者で、何を目指してて、何を指針にすればいいのか、ってのをきっちり考えるといいんじゃないかと思うわけです。


ということで、僕なりに今自分はどこにいて、これからどこに向かうべきか、あれこれ考えてみます。


まず最初、僕の写真はそもそも、どう成り立ってるのかについてちょっと考えた図がこちら。


イメージ 1



うーんと、まず写真の神様がどっかにいると仮定します。神様というと語弊があるんだったら、「沢山の人の心に伝わる写真の型」みたいなものでも何でもいいです。とにかく、そういう何か絶対的なものがあるとしましょう。

で、プロは(とひとくくりにできないくらい色んな種類のプロがいるのは承知の上でまとめちゃいますが)そういう写真のイデアと交信しつつ、日々研鑽して良い写真を撮っているとしましょう。

で、上手いアマチュアの人たちがいます。そういう人たちはたぶんプロの作品たくさん見てると思います。そっからヒントを得て手法なり、テーマなり被写体なりを日々工夫してるんでしょう。時にはそういう上手いアマチュアにも写真の神が降りてきて、傑作を撮ることもあると思います。


で、僕はそういう上手いアマチュアの影響下にいます。写真始めた頃はflickrの上手い人見て、なるほどこういう撮り方があるのかとか、これ良いから自分も真似してみようとか、そういう事やってきました。

僕はプロからは直接影響は受けてないと思うんですが、テレビとか雑誌とかポスターとかで、毎日何かしらの「プロが撮った画像」は必ず見てるので、そこから多かれ少なかれ影響を受けてるというか、おこぼれをもらってるような気がします。

んで、肝心の写真の神様とはたぶん年に一回かそれ以下の頻度で交信できた気がしたりしなかったりするだけです。ひょっとしたらそれすら勘違いかもしれませんが。

あとは、自分はマンガもよく読むので、そっから構図なり何なりのヒントを得てるのかもしれません。これも特に意識してることはないんですが、無意識下で何か影響は受けてると思います。


さて、こうやって図にしてみて思ったのは

「見えないね・・・(遠い目)」

ということ。


いやあ、もう全然神様見えてないですよ。というか、そういう存在があると思ったことすらない。毎日気にしてるのはネット上でつながってる人の反応だけですからね。つながりのある人からほめられると嬉しいなってそんだけですからね。

なので、まずはネット上の上手い人の真似をするんじゃなくて、イデアに近づく、それを見ようと努力することでしょう。


じゃあ、どうすりゃそれが見えるようになるのか。

しんぞーさんからのアドバイスは「良い写真を見ろ」ってことなんですが、じゃあ具体的に誰の写真を見りゃいいんですか?と思わなくもない。

プロといっても千差万別なので、多すぎて選べないし、かといって片っ端から当たるほど、時間的金銭的余裕もない。

そもそもプロの世界もどうなってるのか、実はよくわからんです。というか、そもそも写真って何なんですか?ってところから始めないとダメなんじゃないの?って気になってくる。


あんまり悩んでてもしゃーないんで、とりあえず参考書を一冊用意しました。ホンマタカシの「たのしい写真」って本です。




ちなみにこの本買ったのは写真始めて間もない2009年の夏頃なんですが、一回読んで放置してました。今回の連載にあたってもう一回読み直したら、いろいろ新しい発見があって楽しかったです。

本の詳しい内容は実際興味ある人が買って読んでみて下さい。写真に悩んでる人はヒントがたくさんあると思います。写真史についての簡潔なまとめと、古典を使ったトレーニング方法はすごく参考になりました。

写真史については、ものすごく大雑把にまとめてしまうと、写真は古典から始まって、モダンの時代になって、今はポストモダンの時代になって、価値が一回崩壊してる、ということらしいです。

木村伊兵衛土門拳みたいな絶対的な写真家が今はいない(ような気がする)のも、今がポストモダンな時代だからでしょうか?

絶対的な価値観が崩壊してるから、僕ら素人は誰を頼ることもできず、写真雑誌の特集記事で簡単に良さ気な写真を撮るテクニックを学び、ネット上でそういう写真をアップし、お互いがお互いを褒め合い、内輪で写真がグルグル回ってどこにも行かない、という状況に陥ってるような気がしないでもないです。


さて、じゃあ何を見よう。

とりあえず僕はポストモダンの写真はそこそこにして、いったん古典に帰るのが良いんじゃないか?という気がします。

時間の洗礼を浴びてもなおかつ残ってる写真には、たぶん本物の何かがある。そういう意味で、昔の写真家で自分が一番好きなのは土門拳なので、そっから何かを得るようにしたいなと。


この写真がすげー好き。何でこんなの撮れるんだろう?


幸い、今手元には土門拳の写真集が何冊かあるので、まずそれをしっかり見る。そこから得たものを今の自分の生活の中で、自分の写真に落としこむ。そういうトレーニングを開始しようと思います。