写真が上手くなりたいんだがどうしたもんか(第五回)
前回のまとめ
flickrは楽しいけど、長く続けてると自分を客観視できなくなるから怖いよ。
サイト内でファンや仲のいい人が出来てしまうと、知らず知らずのうちにそういう人たちの期待に答えるような写真を狙うようになってしまって、マンネリに陥ってしまう。
本当に上手くなりたかったら建設的な批判をもらうしかないんだけど、ネットじゃなかなか難しいかもしれない。
そんな話でした。
さて、前回「僕は基本的に批判はウェルカムな方だと思うんですが」と書いたら、twitterでシグマのブランドディレクターをされている福井信蔵氏から素敵なコメントが来まして
いやあ、しんぞーさん厳しい人だから厳しい言葉をもらうだろうなと思ってたんですが、自分で「批判はウェルカム」と書いた手前、「いや、やっぱやめて」とも言えず
と返事しまして、それで帰ってきたのがこのコメント
うわーい
さて、面と向かってこんな批判されたのは初めてでショックだったので、しんぞーさんブロックして見て見ぬふりをしようかなとか思わなくもないんですが、実は自分でしっかりわかってた話なので、むしろようやくはっきりして良かったなと思いました。
こういうこともあろうかと、実は今回の連載の最初にこんなことを書いて一連の記事を書き始めたんですよ。
今まで適当に写真を撮って、適当にアップしてと、あんまり突き詰めることなく写真と向き合ってきました。
さすが自分、逃げ道をちゃんと用意してる(笑)
「いや、俺絶対写真上手くないよ。だって写真のこと何もわかってないもん。適当に撮ってるだけだもん。適当に撮って派手目に現像してキャッチーなのを選んでネットにあげて#DP2ってタグつけりゃみんな見てくれるし、等倍にしてみて喜んでもらえるし、アクセスも増えて自己満足も満たされるしハッピーハッピー」
ってな感じで今まで生きていただけの人間なので、そんな自分がどこかに行けるわけがないじゃないですか。
いやまあ、そういうのはわかってたんですけど、じゃあ写真撮り始めの頃の毎月flickrのexplore入ってた頃のは何て説明すんの?とちょっと思わなくもないです。
これも第一回に書いたんですが、間違いなくビギナーズラックです。写真始めたばっかでイロハも何も知らないから、写真やってる人からすると変な写真を撮ることが多かったんでしょうね。そういう物珍しさが、変な高評価につながっただけです。
実際、ちょっと写真撮るの慣れてきた二年目以降はexplore激減してるんで、まあ世の中そんなもんです。
もう一つは、簡単に言えばフォビオンパワーです。フォビオンで撮って当たれば自分の実力の三倍くらいの写真撮れますもん。
僕はそれを最大限利用しただけなんで、そもそもの僕の実力なんかたいしたことないです。実際一時期exif隠してタグも付けずに写真アップし続けた事あるんですが、見事にスルーされて全然リアクションもらえなかったですからね。あまりにも惨めだったんで諦めてタグつけて宣伝してって、自分の写真見てもらうようにしましたからね。恥ずかしいですね。
僕の写真からフォビオンを抜いたら何も残らないだろうなと心から思います。
僕の写真を見に来る人の何割かは「僕の写真」じゃなくて「フォビオンの写真」を見に来てるだけですから、ぶっちゃけそこに何が写ってようと関係ないんですよ。それが仮に高く評価されたとしても、それは「カメラ(やレンズ)がすごいね」ってだけで、僕の写真がすごいねってことにはならんのですよ。
そういうのに乗っかってるのをわかっていながら自分はちょっと写真が撮れますって風潮してたわけですから、恥ずかしいですよ。生きてて申し訳ないですよ。
本当に上手い人は僕を見かけても「ああ、カメラにおんぶにだっこで粋がってるだけのヘタクソだな」って思って黙ってスルーしていっただろうなと思います。悲しいしみっともないですよ。
exif抜きで、名前抜きで、タイトルもなしで、写真だけで、それだけで人の心を動かす写真を撮りたいですよ。
まあ、恥ずかしがってても、嘆いていても何も始まらないし、どこにも行けないので、じゃあとにかくそれを認識して、ここからどこに行けるのか、そっから始めるしかないです。
もっかいさっきのしんぞーさんの言葉に戻ります。
ぶっちゃけ勉強が足りないと思う。まず良い写真を見てない。さらに本当に良い写真を、そのまま手で描けるぐらいに完璧に覚えてない。同時に本気で分析してない。その分析が増えれば増えるほど明瞭に主題が自分に向かってくる体験をしてない。
一個ずつ見ていきましょう。
ぶっちゃけ勉強が足りないと思う。まず良い写真を見てない。
見てないですね!
いやだって写真集高いし、名古屋じゃ写真展なんかあんまやってないし、ぶつくさぶつくさ、言い訳ばっかりが出てくるんですが、いや、見ないとやっぱダメでしょ。
写真見るってのは、先人の達成を確認し、表現がどこまで行けるのか、どこまで行けたのか、何が残ってるのか、そこから自分は何ができるのか、そういうことを知るためにも必須です。
さらに本当に良い写真を、そのまま手で描けるぐらいに完璧に覚えてない。
いい写真にはイデアがあります。理想的な形というか、表現のコアというか、もっと言うと人間の存在の本質というものまで透けて見える。それを掴んでいない作品は人の心に届きません。それはもう既に過去の偉い人達が苦労して見つけてくれてるわけですよ。それはイデアであり絶対であるので、人間が人間である限り変わらない真実です。「良い写真を覚える」というのは、そのイデアを掴めということでしょう。
同時に本気で分析してない。その分析が増えれば増えるほど明瞭に主題が自分に向かってくる体験をしてない。
そして、表現の本質には、複数の答えがある。複数の見え方がある。真実にたどり着く道はいくつもあるわけですね。それが「分析」ということなんだと思います。その道筋が増えれば増えるほど、今目の前にある被写体を前にした時に、無限の可能性から「ここしかありえない本質」を突くことが可能になる。分析するというのは、そういう武器を増やしていくことだと思います。
それをできるようになるまでは、どれくらいかかるんだろうか。何を経験して、何を犠牲にして、どれだけ努力すればそこに行けるんだろうか。
自分を表現者として成長させるためには、たぶんここを伸ばすしかないなとずっと思ってたんですが、体調がどうのこうのとか仕事が忙しいとか家庭であれこれがあるからとか、そういう理由をつけてずっと逃げて来ました。
でも、もうそろそろ、逃げないで真正面から写真に向きあおうかな、向き合いたいなという気になってます。
もっと先に行きたいし、そこから見える景色は今とは全然違ってるはずで、僕はそれを知りたいです。