SD1とノスタルジー

元記事
http://www.digitalphotographywriter.com/2011/02/sigma-sd1-brings-back-some-childhood.html


前回の記事でSD1への思いを述べたんだけど、言い足りないことがまだあるような気がするので、もう少し書いてみようと思う。記事を書いてからもう何日も経ってるんだけど、未だにSD1のことが頭から離れないから。

これまでニコンキヤノンペンタックスオリンパスといった、色々な一眼レフで写真を撮ってきたんだけど、実際に撮られた画像を見ても、それがテクノロジーの粋を尽くした最新、最高の画像だとはどうしても思えなかった。

一人の写真家として、僕はテクノロジーの研究開発と、実際に製品に使われている技術との違いはわかっているつもりだ。テクノロジーそのものに深入りしてしまうと、今ある製品を楽しむことが出来なくなってしまうことさえある。

だから、デジタル画像の世界では、それぞれのテクノロジーのデメリットではなく、メリットを理解することが大事なんだ。そうやってはじめて、目的に合ったクリエイティブな画像を撮ることが出来ると、今は考えている。


そうやって考えてしまうのは、僕がいわゆる理系人間だからなのかもしれない。例えば僕はプログラミングや計算が好きだ。実際に昔はプログラマーだったし、現在はデジカメ関係のライターをやっている。だから、僕は新しい技術を見るだけでワクワクしてしまう。

ずっと昔のこと、デジカメなんかがまだなかった時代、カメラといえばフィルムカメラで、僕らはそれを使って素晴らしい写真を撮ることが出来ていた。けれども、技術は進歩する。僕らは新しいテクノロジーのある生活に適応していかなくちゃいけない。新しいものを受け入れない理由は何もない。もしそれに、僕らが満足出来るのならだけど。


フォビオンセンサーはテクノロジーの革命だ。これまでのデジカメの歴史の中でも、最も革新的な発明の一つだと思う。デジカメ関係のブロガーとして、これまで僕は、過去、現在、未来のデジタル画像についてたくさん記事を書いてきた。同時に、シグマの一眼レフカメラとフォビオンセンサーについて、様々な議論を目にしてきた。ネット上では、シグマのカメラは毀誉褒貶が激しい。もし何か新しい一眼レフカメラを買ったあとでシグマのカメラの評判を見たら、たぶん混乱して、どうすれば良いかわからなくなってしまうと思う。

僕がやらなければいけないことは、立ち上がって自分の意見を大声で叫ぶのではなく、まずはシグマのカメラについて詳しく調べることだ。写真の進歩という点で考えた時、SD1は本当の意味での革新だと、僕は思う。 


僕らは現在のテクノロジーにいくつか欠点があることを受け入れるようになっている。それと同時に心の中では、その時点でのテクノロジーはまだ発達の段階にあり、数年もしないうちに驚くべき進歩を遂げるであろうことも予測している。人類の叡智によって、欠点を克服出来るような新しい発見がいずれ起こることは、容易に推測出来るからだ。


デジタルカメラが登場した時にも僕は、ベイヤーセンサーが作る画像は時と共に良くなっていって、いずれはプロ写真家もデジタルカメラを使うようになるだろう、と思っていた。実際には、CYGMフィルターや、RGBEフィルターといった、RGBとは異なったカラーパターンを持つセンサーも試されたことがあった。けれどもそれらのカメラは結局定着せず、メーカーもベイヤーパターン以外のカメラを製造しなくなってしまった。

デジタルカメラ市場はマーケティング戦略や、新しいテクノロジーの採用など、常に厳しい競争の中にある。フォビオンはそのような過酷な競争に生き残ってきたセンサーだ。もしデジタルカメラ市場に何らかの貢献をすることが出来なかったならば、技術が生き残ることはなかっただろう。 

シグマはフォビオンのテクノロジーを採用するという戦略を取った。競争の激しいデジカメ市場で生き残るためには、シグマは何らかの形で競争から一歩離れておく必要があった。人目を引くためにカメラをピンクや黄色に塗ったり、プロ写真家にしか必要ない機能を満載して、凄いカメラだとうそぶいたりすることを、シグマはしたくなかった。

シグマのエンジニアは、フォビオンセンサーこそが最も重要なものだと思っている。彼らは知っているのだ。ハイアマチュアやプロの写真家たちはいずれベイヤーの画像とフォビオンとの違いに気づくだろうと。実際には、その違いに気づくためには写真家でなくても良い。ほんのちょっとの想像力と見る目があれば、どちらのセンサーで作られた画像なのかはすぐに見分けがつくはずだ。

写真専門サイトの多くは、カメラを評価する時、主にシャープネスと解像度を取り上げている。色の正確性はあまり重要ではない。もし色が本当に重要だったら、プロの写真家は誰一人としてベイヤーのカメラを使わないからだ。ネット上では様々なサイトが色の正確性をテストしているけれど、最も色が正確なカメラはプロ用の高級機ではないことの方が多い。例えば、僕がテストした所、今の時点では中級機のキヤノン60Dが最も高い色再現率を持っている。

カメラのレビューで最も重点が置かれているのは、高ISOにおけるノイズ、現像後のRAW画質、使いやすさ、そしてカメラの作りだ。人によってはノイズレベルよりも、連写速度の方が重要だということもある。そのような意味で、プロ写真家がキヤノンニコンのカメラを選ぶのには理由があるし、僕にはその気持ちがわかる。秒速10コマの撮影が必要だったり、防塵防滴のカメラがいるのなら、迷わずキヤノンニコンのプロ機種を選べば良い。


僕はこの記事を、最新機種にあるような贅沢な機能が必要ない人に向けて書いている。例えば僕は秒間10コマは必要ないし、92万画素の液晶ディスプレイも必要ない。何一つ便利な機能がいらないというわけじゃないけど、やっぱり一番重要なのは、最終的に出てくる画質だ。 

撮影が終わったあとで、メモリーからパソコンに画像データをコピーしている時が一番ワクワクする。僕が見た景色の空気感を、カメラは写していて欲しい。その景色を隅々まで見渡して、まるで自分がその場所にいるような感覚を味わいたい。僕はベイヤー補完された画像では、そのような感覚を味わうことは出来ない。けれども、シグマのカメラで撮られた画像からは、その空気を感じることが出来る。

僕はフォビオンを使ってみたいと思っている写真家をたくさん知っているけれど、彼らは現行のフォビオンの欠点が気になっているようだ。その気持ちはわかる。けれども、シグマの最新機種であるSD1について、もう一度考えてみて欲しいとも思う。 

今となっては400万画素しかないSD15を欲しいと思う人はあまりいないだろう。シグマもおそらくそのことがわかっているから、ライバル機種に負けないために、画素数を3倍にしたのだろう。フォビオンの解像力そのものは他の機種とは比較にならないから、MTFチャートみたいなテストを見なくても、フォビオンがベイヤーに優っている点はすぐにわかるはずだ。

今まで見たことがないような、画像から物語が伝わってくるような、そんなカメラが僕は欲しい。デジタルの世界では、全てのイメージは膨大な数の0と1の組み合わせで表現される。最終的にデジタル画像は、実際に見ている景色と同じものを表現出来るようになるだろう。その画像の1ピクセルが、全体を表す物語の一つとなる。僕らが実際に目にしている景色に限りなく近い、そこから物語を感じ取れるようなものに、デジタル画像はなって欲しいと僕は思う。

フォビオンは真実を写し出すセンサーだ。今まで作られたどんなデジタル画像よりも素晴らしい物語を、フォビオンは伝えることが出来るようになるだろう。その瞬間を真実以外の何者でもない形で、フォビオンセンサーは捉えることが出来る。 

僕自身は、ベイヤーによって補完されたイメージは、真実を全て伝えてはいないと思っている。シャッターを切った時に、僕が捉えて欲しいと思う何かが置き去りにされてしまう。ベイヤーはそれを捉えることは出来ないけど、僕はベイヤーを責めない。最初からそのように設計されているのがベイヤーだからだ。

シグマSD1は目の前にある景色を余す所なく捉える、真実を写すことが出来るカメラになるだろう。シャッターを押す度に、そこにある景色が確かに記録されていると感じることが出来る。それはまるで、そこにある光を全て捕まえて、後には何も残さないようなものだ。カメラが最終的に写し出したもの以上の、何か哲学的なものを、僕は画像の中に見つけたい。

僕がこんなことを感じていたのは、ずっと以前にコニカミノルタフィルムカメラを使っていた時だ。 その頃の僕は秒速5コマだとか8コマだとか、ISO1600だとかいう、カメラのスペックに煩わされることはなかった。今の僕の頭の中は、最新のデジカメによって侵されてしまっているけれど、シグマSD1はそれを打ち破ってくれるだろう。僕はもっとカメラそのものとつながることができるだろうし、まるでカメラを3番目の目であるかのように、自然なものとして受け入れるだろう。

シャッターを押す度に感じるのは、僕は時間を切り取っている、という感覚だ。カメラによって捉えられた瞬間は、他の誰のものでもない、唯一僕のカメラだけが捉まえられた時間だ。全てのショットには意味がある。それが写真として良いものじゃなくても、やっぱりその瞬間だけの特別なものなんだ。だから、ミスショットをメモリから消してしまう時に、僕は罪悪感すら感じる。その瞬間はもう二度と現れない。それを消してしまうことで、僕は過去を永久に葬り去っているのかもしれないからだ。

僕は、ミスショットばかりを集めたオンラインサイトがあれば良いのにな、と思う。どの写真もそれぞれの特別な瞬間を写しているのだから、データが永遠に消え去ってしまうのは本当に悲しい。グーグルアースで衛星から撮られた写真を見ている時にも、僕は同じようなことを感じるし、携帯電話のカメラで撮られた写真も同じだ。


どうしてSD1を買うべきなのか、疑問に思う人もいるかもしれない。でもここまで読んでくれた人なら、写真は単なるモノなんかじゃなくて、哲学的な、心理的なものだってことがわかると思う。シグマのカメラにはそんな作用があるんだ。

もし全てのカメラがフォビオンのようなセンサーを搭載していたら、話は少し違っていたかもしれない。けれども、現実には、僕らが手にすることが出来るのは、ベイヤーのカメラか、フォビオンのカメラだ。僕らはそのどちらを選ぶのか、自分で決めることが出来る。自分はいったい、カメラに何を求めているのか、自分で決めなくちゃいけない。


僕らがまだ幼かった頃に持っていた感情がある。年を取って、いろいろなことを経験していく中で忘れてしまった感情。シグマの一眼レフは、そんな失われてしまった子供の頃の感情を取り戻してくれる。楽しかった記憶。失われてしまった感動。ただ、楽しいことがしたかった、その時を精一杯生きていた、そんな記憶。


僕はもう、そんな記憶は忘れてしまっていた。けれども、シグマのカメラがそれを呼び戻してくれたんだ。

なくしてしまった記憶を取り戻してくれるものは、他にもたくさんある。僕らは人生を楽しみたいし、幸せにもなりたい。音楽を聴いている時や、雨降りの翌日に、濡れた芝生の匂いをかいでいる時、僕はやっぱり幸せを感じる。


僕は記憶を取り戻したい。シグマSD1となら、それが出来る。だから僕はSD1を早く手にしたいんだ!