DP2sで写真を学ぶ

元記事 What's Wrong with Digital Cameras から抄訳

http://db.tidbits.com/article/11571



かつて、イーストマン・コダックの創業者であるジョージ・イーストマンは「あなたはシャッターを切るだけ。あとのことはすべて私たちにお任せください」というスローガンを掲げて一財産を築いた。


けれども現代のカメラメーカーが言っているのはこんなことだ。

「まず100ページの取扱説明書を読んでください。良くわからない専門用語があるかもしれませんが自分で調べてください。そしてそれを覚えてから写真を撮るようにしてください。そうすればあなたはシャッターを切ることができます。あとのことは私たちにお任せください」



良い写真を撮るために必要なことは、余計なことを考えないこと、そして真っすぐ被写体に向かうことだ。

そのためにはカメラの操作に気を取られていてはいけない。豊富なメニュー、たくさんのボタン、シーンモード。こういった機能について考えることは、写真を撮る時の邪魔にしかならない。考えなければいけないことは、目の前にあるさまざまな要素をどのようにして写真にしていくのか、そして、そのためには何が必要なのか、ということである。


シグマのDP2sは驚くほど機能が少ないカメラだ。レンズ交換が出来ない、ズームはない、手ブレ補正もない、ビューファインダーがない、速い連射ができない、液晶画面は小さくて見づらい、そして、カメラの操作方法は、馬鹿にしてるんじゃないかというくらい悲惨なものだ。

けれども、そういった欠点に対して、カメラのサイズと写真のクオリティは特筆すべきものだ。DP2sは驚くほど軽量でありながら、フォビオンセンサーを搭載し、フルサイズセンサーを搭載した一眼レフカメラに匹敵する画像を写すことができるのだ。

DP2sは写真ファンのために作られたカメラであるが、限られた機能と使い勝手の悪い操作性に対して文句を言わないでいられるだけの、忍耐が必要なカメラではある。

けれども、驚くべきことに、私はDP2がとある目的で使うのなら最適なカメラではないかと思い至るようになった。


それは、教育分野である。


もし私が学校で写真を教えるのなら、おそらく私は生徒にDP2sを使うように指示するだろう。なぜなら、DP2sを使うことで、プロが写真を撮る時に使うテクニックを学ぶことができるからだ。

例えばDP2sは動作がとても遅いので、ポートレイト写真を撮る時に、他の一眼レフカメラのように何十枚もシャッターを切って、その中からベストショットを選ぶようなことはできない。

構図と背景をしっかりとセッティングして、モデルをよく観察し、最高の表情をその瞬間に切り取るためにシャッターを押す準備をしていなければならない。


DP2sの液晶画面は解像度が少なく、ディテールが写らないので、風景写真を撮るときには画面を見ないでカメラをセッティングする必要がある。カメラ越しに景色を見ながら、画面では構図だけを確認する。

これはまさしく、プロが大判の蛇腹式カメラを使って写真を撮る時のやり方だ。カメラから見える画像は上下逆さまで薄暗い。フィルムシートをカメラに挿入したあとでは画像の確認はできない。このようなカメラを使うことで、プロはどのように写真を撮るのかを学ぶのである。


DP2sが持つもう一つの教育的効果は、そのレンズにある。

DP2sのレンズは単焦点の標準レンズなので、レンズを交換したり広角から望遠に画角を変えたりすることはできない。景色を観察して、どのように構図を取れば良いかを学ぶためには、レンズが交換出来ないことに価値があると私は思う。絵の描き方を学ぶ時には何本もの絵筆を使うより鉛筆一本の方が効果的なように、画角も固定されている方が構図について多くを学べる。

写真学科の学生はカメラやレンズそのものが好きなことが普通なので、大半の生徒はDP2sを使わされることに対して強く反発をするだろう。もし私が講座を持ってDP2sの使用を強制したら、おそらくあっという間に全部の生徒がいなくなるのではないだろうか。

けれども、DP2sだけを使って写真を勉強する学生は、他の学生よりもより多くを学ぶだろう。そうやって撮られた写真は、カメラのサイズと値段からは考えられないくらい、とても優れたものになるはずだ。