写真がもっと上手くなりたいリターンズ(第二回)【書評】鳥原 学「日本写真史(上)(下)」

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自分の撮った写真に既視感を抱く時がある。


僕が動き、僕が見て、僕が選び、僕が撮った写真が、他の誰かが撮った写真と同じようなものに見えてくる時がある。

もちろんそれは自分が撮った写真なのだから、大事にすべきものだ。それが何かに似ていようが、何だろうが、これが僕の写真だと、強弁することは可能だろう。

でも、それが他の人の心に届く写真であり得るのか。そう考えるといささか心許ない。

僕は夕日を見る。美しいと思ってシャッターを切る。それをネットに上げる。上がった写真をGoogleで画像検索すると、同じような写真が数千、数万とヒットする。

僕はもう一度自問する。そんな僕の写真は価値が有るのだろうかと。


良い写真とはなにか、ずっと長い間考えてきた。未だにこれという答えはないけれど、何となくこれじゃないかな、というものはある。

人の心に届く写真が、良い写真なのだ。

僕は一人で写真を撮って、一人でそれを楽しむこともできる。自分なりの快楽のスイートスポット。それは他の人とは違う、自分だけのものだ。それをひたすら追求して、自分一人で楽しむ。健全かどうかはさておき、別に悪いことでもない。

けれども、人は他者との関係の中で生きる生き物だ。僕らは一人では生きていけない。人と会い、話をし、何かを交わし、何かを感じ、そうやって生きている。

写真も、その中の一つとしてある。

自分一人のための写真を僕は否定しない。けれども、やはり僕はそれは撮らないだろうし、続かないだろう。別に写真を撮らなくても生きていけるのだ。自分の生活に加わるプラス・アルファ。それが写真なのだとしたら、僕はそこに何らかの快楽を見出したい。

人とコミュニケーションするという快楽

けれども、それは簡単なことではない。人の心には、どうやって触れればいいのだろうか。それも写真で。何を提出すれば、人の心は動くのか。

その一つには、まず自分の心を知ること。僕は何を見ているのか、何に心を動かされるのか。何を伝えたいのか。

そして、もう一つは人を知ること。それはすなわち、社会を知ること、今を知ることでもある。人は今という時代を生きている。「今」はどんな時代なのか。人は何を考え、何を求めているのか。

もちろん、時代を知ることや、社会を知ることは生半ではない。個人的に、それは一人の人間の知性を超えていることだとすら思う。けれども、全体を、全てを知ることができなくても、その手がかりのようなもの、かけらのようなものを掴むことは出来るんじゃないか。僕はそう思っている。

2011年の3月13日、震災の二日後に娘が生まれ、その写真をツイッターに上げた時、まる1日近くリツイートが止まらなかった。

それは世間にとって、小さな、ほんの小さな出来事だったのかもしれない。けれども、僕はその時、人と対話するということの「何か」を見たような気がしたのだ。

僕が心の底から見せたいと思うもの。

人が心の底から見たいと思うもの。

良い写真とは、その二つが重なりあった時、生まれるのだろう。



鳥原学氏の「日本写真史」は労作である。

幕末の維新志士の肖像写真から始まり、大正時代に花開いた前衛文化、日本が海外に侵出するようになると、写真家たちも戦争プロパガンダに利用されていく。

戦後の焼け野原から、徐々に復興していく日本。高度経済成長のさなか、ジャーナリズムと広告写真が花開いていく。経済的豊かさがある程度達成されると、個人が社会の問題になっていく。写真家たちは自己の表現を求め、その主題・手法は細分化していく。

デジタル時代になり、誰もが写真を撮るようになると、旧来のカメラ・写真のあり方が変わっていく。そして東日本大震災。日本人は震災に何かを感じ、写真家は何かを表現しようとした。


ざっと概観すると、写真というものが日本の近代化にとって、どれほど多くの役割をになったのか、その影響に慄く。

どうして維新志士の写真は数多くあるのか。写真というものが近代化の象徴であり、社会を変えたいと思う若者たちが、最先端の科学を身を持って体験するという、そういう風土が当時はあったのだろう。従来の封建的・儒教的価値観から、客観的・科学的近代合理主義へ、日本社会は変質していった。その変化を、カメラは目撃していたのだ。

僕が個人的に心動かされたのは、戦争が激しさを増していくとともに、プロパガンダとして写真家がその技術を国家のために使わざるを得ない状況に置かれていくところである。


以下は1941年に陸軍大佐が「アサヒカメラ」でアマチュア写真家に向けて語った言葉だ。


写真も国防の第一線に出なくてはならない。しかもこれによって、国家は戦っているという国民的意気と熱とを、知らしめるに足ることを忘れてはならないと思うのである。要は宣伝報道は内外の世論を左右にし、民心の離合に関係を持っている。我らは支那における民心を把握して、日本の国論と支那民衆の思潮とを帰一せしめ、宣伝報道戦においても真の戦果を収めなくてはならぬ。
「日本写真史(上)」p.76


写真は強力なものだ。それを使う時、その効果に無自覚であってはならない。また、それと同時に、無意識であれ自覚的であれ、自分の意志に反し何かの意図を持って写真を使うことも、戒めなければならないと思う。


戦後に起こった写真表現の拡散は、そのまま日本という国の多様化・分化の証明でもある。芸術・報道・マスメディア・広告という大きな流れはバブル期あたりを頂点に、集合し、そして離散したのではないか。それはとりもなおさず、僕らの価値観そのものが細かく分散したことを表している。

日本人なら誰もが知っている写真、例えば幕末の坂本龍馬の肖像写真、敗戦直後のマッカーサー天皇陛下の写真、東京オリンピック公式ポスターのようなものは、1991年の宮沢りえの「Santa Fe」あたりで終わるのかもしれない。ちょうどその頃を境に、例えば国民的歌謡曲がなくなり、世代別・趣向別にそれぞれの好みの音楽を聴くようになったように、「国民的」というものが消えたのだろう。

このまま拡散していくと思われた「日本」というものが、ひょっとしたらもう一度再編されるかもしれない。そう感じたのは東日本大震災があったからだが、しかし、その写真表現の極地であると僕が思う志賀理江子の「螺旋海岸」は、おそらく「国民的」写真にはならないだろう。それが良いのかどうか、わからないことではあるけれども、少なくとも「螺旋海岸」の中の写真は、イメージは、僕の心に深く突き刺さっている。



僕らは、こういう時代を経て、今という時代に生きている。「日本写真史」を通読して、僕が感じたのはそれだ。

僕が撮る写真は「今」の写真なのだ。今の機材を使い、今の社会で、今を生きている僕が、今を撮っている。

果たして僕は撮っているのか、撮らされているのか。

メディアによって喚起された、「良い写真」のイメージ。その残像を頭に残したままで、誰かと同じカメラを持ち、誰かと同じレンズを付け、誰かと同じ生活を送り、誰かと同じ写真を撮る。

SNSや写真共有サイトでは、同じ趣向を持った人とつながっている。僕が何かを撮り、何かを上げると、誰かがそれに対してリアクションをする。僕はもちろんそれを嬉しいと思う。コミュニケーションは快楽なのだ。でもそれは、結局のところ何を意味するのだろうか。僕にはわからない。

でも僕は、この本を読んで少し救われた気がした。過去の先人たちも、今の僕と同じように、時代の中に生き、時代に翻弄され、それでも写真を撮ってきた。それが価値を持つものであってもそうではなくても、日本の近代化の歴史とともに、写真は常にそこにあった。

それがわかっただけでも、僕は良かったと思うのだ。